<春節>
北京で最初の患者が確認されたものの、武漢に出張したり、その濃厚接触者の感染だったので、今になるとそれでもまだみんなの危機感はそれほど高くなかったと思います。
とはいえ、子供もいるので人ごみに近づかないで、手洗いうがいはしっかりしよう!と
普通のインフル予防対応で乗り切るつもりで、春節は日本に帰りました。
この時は北京に戻れなくなるかもということは頭に浮かばず、1-2週間ほどは様子見がてら外出する機会を少し減らそうというくらいでした。
23日武漢が都市封鎖されたときはさすがに驚愕しましたが、やはりニュースの出来事。
北京と武漢は1000キロ離れています。
感染拡大よりも、物流が止まり、中にいる人の食糧が枯渇して暴動→政変が起こるのではないかという心配(期待??)の方が大きかったです。
もちろん、学校の先生たちとも「また1週間後に会いましょう!」というお別れをしてきました。
ちなみに今年の春節は1月半ばと例年よりも早いタイミングでした。
12月にクリスマス休暇で1か月近く休んですぐなので、周りの外国人ファミリーも北京でのんびり過ごす予定のお友達がむしろ多いくらいでした。
<1月25日:学校閉鎖が始まる>
この日、学校からメールがあり、北京市の教育委員会からの通達で2週間の休校措置が確定しました。
旦那さんの会社も政府からの通達で1週間の休暇延長が決まったので、ひとまずこの段階で北京に帰るフライトをキャンセルしました。
当然の措置ではあるよね
我が家の今回の旅の目的はスキーだったので、スキーウェア以外は移動する日用の洋服が1着。
どうせスキーしてだらだらするだけだしと思って、化粧品もほとんど持っていない…
今回は移動が多い旅なので子供の遊び道具は極限まで減らしてきたことがすべて裏目に出ました…
<1月31日~:日本の自宅へ帰ってやったこと>
帰国できなくなっても、幸い自宅を残してありました!!
「もしも」のリスクを想定していて本当によかったです。
(Lamaが自宅をそのまま残すことにした理由はこちら)
駐在を機に自宅を売ったり、賃貸に出してしまったご家族は、この騒動で実家に帰省したりウィークリーマンションやホテル住まいを選んだり、気の毒にも放浪の憂き目に遭ってしまっています。
2週間学校の開始が延期になった状態なので、ひとまず某Mujiや某ユニクロで当座困る洋服だけ、数着購入しました。
ということで、モノが少なくて不自由ながらも、自宅住まいをスタートさせました。
<2月5日~:長期化の覚悟を決めてやったこと>
思いのほか、すぐ、これは長期化するな、という判断が出来ました。
上海の教育委員会が早々に「学校の再開は3月」というアナウンスを出したので、Lamaたちの住んでいる北京もおそらくこの動きに追随するだろうといううわさが流れました。
中国国内は武漢以外の地域でも感染者数が増えていた時期で、当面収束する気配も感じられなかったので、たった二週間の休校措置で済むわけないと思っていた通りでした。
この時はまだ、日本では武漢からの旅行者と接触した人の感染が報じられましたが、日本であればまだ自由に行動出来る状況でした。
大分伸びた冬休みで、デビューしたばかりのスキーでもして日本を満喫しようと気持ちを切り替えました。
この時はまだ自粛ムードは出ておらず、楽しい旅ができたのです。
旅から戻ったタイミングがちょうど中国から日本に戻って2週間目でした。
残念ながら、ここでLamaの旦那さんは北京で出社するようにと会社から指示があり、中国に戻っていきました。
2月上旬のまだ感染が収束する気配が見えていない段階だったので、会社は正気かと何度も旦那さんと喧嘩しましたが、万事休す。
とにかく家に引きこもってしばらく暮らせるようにレトルト食品をたくさん買い込んで出発しました。
当時は北京に戻るなんて狂気の沙汰だと思いましたが、2月末頃から中国に戻るフライトが極端に減り、3月下旬からは海外からの入国者は、北京以外の地方空港にいったん降ろされ、検温後自宅以外の隔離施設で14日間の検疫期間を過ごさなければならないという強権ルールに変わり、ついには外国人の「入国禁止」が発動されているので、振り返るとあのタイミングで中国に戻るのが一番影響が少なかったという何とも皮肉な状況になってしまいました。
日本で幼稚園入園の交渉をしたときのこと
Lamaの娘たちは5歳と3歳。
さすがに1か月以上北京の学校が休校するとなると、姉妹で遊ばせるだけでは刺激が足りない…
武漢からチャーター機で脱出した人たちが「2週間の隔離期間」を置いていたので、Lamaも帰国後2週間経ってから駐在前に通わせていた幼稚園に連絡を入れました。
ずっと元気で、住居も震源地の武漢から1000キロ以上離れた北京とはいえ、日本の人から見れば同じ「中国」からきた子...
他の園児のご父兄にとって、私たちは歓迎される対象ではないかもしれないという気持ちもあり、受け入れてもらえそうなタイミングで連絡を入れたつもりでした。
ところがここで、ちょっとしたタイミングが影響してしまいました。
ちょうど連絡した頃に「ダイアモンドプリンセス号」の騒動が始まったのです。
毎日感染者数が数十人単位で増加していくニュースがテレビで絶え間なく流れてくるようになりました。
家族ぐるみのお付き合いがある園長先生からも、最初のお返事は「大変でしたね。ぜひいらしてください。」というものでしたが、いざ受け入れ時期を確認すると「中国から帰国した日から1か月後の登園にしてほしい」というお返事でした。
園長先生が仰っていたのは、指導官庁からは概ね2週間以上症状がなければ帰国児童の受け入れ可というガイドラインが出ているものの、「万が一心無い風評がたったとしても、1か月たっていれば毅然としていられる」という判断でした。
日本で報道されているトーンを踏まえると、小さな子供を預かる施設で慎重を期したいという園長先生の気持ちや、何か起こった時に私たち家族が犯人扱いされるリスクを減らしたいという考えは十分理解できたので、追加の自主検疫が明ける2月下旬を待つことにしました。
他の日本人のママさんたちに聞いたところによると、2月初旬の段階で連絡していた方は、2月の10日頃から登園できていたそうです。
クルーズ船の件がなければ、私たちももう少し早く登園できていたかもしれませんが、これもタイミングですね。
子供と2週間、それでも毎日楽しく過ごせました。
はい。
この時はまだ図書館や科学館、その他の子供向けの施設、どこも開いていましたから。
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