先日井上ウィマラ先生というマインドフルネス界の大先生のお話を伺いました。
子供が小さいと日々の生活に追われることが多いので、マンドフルネスとか瞑想はなんだか遠い憧れの場所の様なイメージがありましたが、実は日々の生活にも瞑想と同じように気づきを得られる瞬間が訪れるそうです。
瞑想するには「静かな場所に座って心穏やかに」じゃなくてもいいというのが目からウロコじゃないですか?!
例えばあなたはどんな風に家族のことを呼んでいますか?
怒った調子?
急かすような声?
優しい問いかけ?
瞑想は呼吸に意識を向けるというのが基本ですが、言葉を発しているときは息を吐いている時。
その時どんな呼吸になっているか意識してみるだけでも、マインドフルネスの実践だと先生はおっしゃっていました。
瞑想の基本は「今この瞬間に意識を向けること」だといいます。
だからこそ静かなお堂にこもらなくても、日常生活の中で、呼吸一つに意識を向けることも立派な「瞑想」になるそうです。
一番面白かったのは、何年も厳しい修行を重ねてきた先生ですら「お前なんか死ね!」と思う瞬間があるそうです!
瞑想の大先生だってそうなんだから、私ができなくても落ち込むことじゃないと安心しますよね(^^)
心穏やかに仏のように日々暮らすのなんて人間らしくないじゃない?と、ウィマラ先生はおっしゃっていました。
人間だからこそ怒ったり、泣いたり、笑ったり感情を持つのは当然。
人間の意識はそんな自然に出てくる感情を止めることはできません。
唯一できるのはそれを受け止めること。
私は今怒っていると気づき、一体何がそう思わせているのか、そこに目を向けると実はこうして欲しかったという、思いが見えてきます。
私もこの実践を少しずつですがチャレンジしていて分かりましたが、私が怒りを覚える時は自分の持っていた価値観や期待が裏切られた、傷つけられたと感じた瞬間でした。
生きている以上、私たちは様々な関係性とつながる社会の中に存在しています。
相手が悪いと決めてしまうと、誰とも折り合えなくなったり、逆に自分さえ我慢すればと殻に閉じこもる、という2択ではなく、本当は相手とうまくやっていきたい、この関係性を大切にしたいと思う心を、まず自分に向けてみませんか?
そのためには、自分はどんなことを大切にしたいと思っているか、自分のことを知り、それでいいんだと承認してあげる必要があります。
辛い経験をした時に初めて自分をいたわるのではなく、避難訓練のように元気な時にこそ自分を癒してあげてください。
「慣れていることでなければ、いざというときにできない」
避難訓練の鉄則です(^^)