とても面白い記事を読みました。『不老長寿は人類を幸せにするのか』というテーマの下、様々な観点からの提案が記事になっているのですが、特に、芥川賞作家の上田岳弘氏の論点がとても考えさせられました。(出典:FQ)
古来より、「不老長寿」は多くの人が追い求めてきた夢でした。
権力者は不老長寿のための薬だと水銀を飲んだり、ピラミッドを建築したりミイラを制作したり、今の知識や価値観からしたらなぜ?!?ということを数多く実践してきました。
この人類史上最大の夢だった不老長寿に産業革命以降医療の飛躍的な発達により、現代はかなり近づいている状態ではないでしょうか。
日本の平均寿命は90歳に近づき、長寿はもう達成されている状態です。
ところが、さらにその先「不老不死」の実現も夢ではないところまで来ているそうです。
誰でも必ず死ぬ、という大前提が消えて、遺伝子技術で臓器を新調して永遠の若さを手にいれたり、意識を機械にアップロードして体はなくても生き続けるという、私には理解できない世界だと感じたのですが、上田氏の想像力がそんな未来のイメージを少し見せてくれています。
アップロードなしでもChatGPTなどが出てきた今は、ついに、本人がいなくても、過去の本人の発言や成果物をデータとして取り込んでしまえばすでに、その人っぽい答えを出せるようになってしまいました。
例えば宮崎駿監督風のアニメ作品を作って、と言えば自動でできてしまうという状態。
ChatGPTが出た時は衝撃的でしたが、これがどんどん進化して、あと5年後にはまた想像を超えた未来が待っているような気がします。
ただ、不老不死が実現すると「死」の意味が相対的に下がり、結果的に「生きる」ということに対する価値も目減りするのではないかという危惧に対して、上述の上田氏の論考によると、「他人に共感されない言葉を持っている」ということが最後まで「自分は自分だ」と認識しながら生きる意味になると語っています。
私たちはどちらかというと相手の気持ちになって考えようとか、空気を読んだ方がいいとか、同調する方向に慣れていると思いますが、誰からも共感されない言葉こそが自分らしさという一つの解がとても深いなぁと感じました。
誰からも共感されない言葉はドロドロしてたり、扱いづらかったり、隠れた場所にいるかもしれません。
「共感されない言葉」こそ「私」。
人間は群れで生きる社会的な動物なので共感されたい、承認されたいという欲求がDNAレベルに組み込まれています。
だからこそ、こうした共感されない言葉を発信することは勇気がいること。
何でも話ができる大切な相手にこそ、どろどろした感情や、共感されない言葉は出せないものだと思います。
私も自分の大切な人に自分の心の闇の部分まで晒すようなことは抵抗を感じるのですが、そんな時でもコーチであれば、この感情を整理するために話をできるのではないかと感じたことがあります。
実際のコーチングの中でも、クライアントとコーチは安心安全の中で対話します。
ここで話されたことは、どこにも持ち出さないこと。
そして、どんなあなたでも、私はここにいますという約束をしている関係なので、嫌われる心配をせずに話をすることができます。
感情や思考は言語化しないと扱えないものですが、不思議とそれをするだけで整理されて行きます。
モヤモヤとして抱えていたものを言葉として外に出すだけで、質感が変わってくるのが分かるんですよね。
だからこそ共感されない言葉を扱う場として、私はコーチングはとても有効だと感じるんです。
なお現時点でのことなので、いずれ覆るのかもしれませんが、機械は感情がありません。
センサーのようなものが取り付けられて感覚とか、怒る=心拍数が上がるのようなことはできるかもしれませんが、あくまでも外部からの入力(INPUT)があっての反応(OUTPUT)ということになります。
肉体すら再生されうる可能性もある未来には、共感されない言葉、そして内発的な感情や、その感情の意味付けというのは人間らしさの最後の砦なのかもしれません。
ぜひ人と違う考えも否定せず、ありのままに受け止めて下さいね。