先日とある勉強会で、多くの経営者に「師」と仰がれ伝説のメンターと呼ばれる大久保寛司さんという方のお話を聞く機会がありました。
大久保さんはメディアにはあまり出ないのでほとんど知られていませんが、IBMで組織改革に取り組まれ、その後独立して組織、経営、人のあり方をテーマに講演を続けてこられた知る人ぞ知る人物!
大久保さんの講演や本の内容について、コーチとして私が勉強になった!!と思うところについてまとめてみました。
「正論」は正しい?
上述の通り、大久保さんは知る人ぞ知る伝説のメンター。
著作も出版されています。
経営者を相手に講演やメンター、つまりコーチのように関わることをされているということなのですが、ご本人は至って柔和な雰囲気。「オレのアドバイスを聞け!」という雰囲気では全然ありません。
日本やアメリカでもコーチングが最初に広まったのも経営者層からなんですよね。
やはり会社の偉い人こそ、相談相手がいない孤独な状態。話をするプロセスの中で思考が言語として整理されたり、会社の中で「王様は裸だと」いえる人はなかなかいないので、率直なフィードバックができるコーチの存在が必要なんだろうなと思います。
そして大久保さんの講演のなかで、私の心に響いたのが「相手にはそうする理由がそれなりにある」というフレーズです。
相手を正論で言い伏せることは、会社の上下関係や親子関係などでやってしまいがち。
ところが、大久保さんは正論は誰でも言うことができるし、何も変わらないどころか時にはモチベーションを奪うこともあるといいます。
「いじめはダメ」というのは幼稚園児でも言える正論ですが、それを言うだけではいじめはなくなりませんよね。
何かを変えるにはまず相手の「それなりの理由」に目を向けて、それを理解することが大切だそうです。
理解する姿勢=100%聴くこと
それなりの理由に目を向けることの第一歩は「相手の話を聞くこと」に尽きます。
相手は私をバカにしているからこんな発言をしたんだ、とか、私に怒っているから冷たい態度を取るのだ、のように自分の印象で相手の行動や反応を判断してしまうことはNG!
「行動」は事実かもしれませんが、背景にある感情などは妄想ということも多いもの。
さらに言うと、実は行動だって、もしかしたらたまたま聞こえていなかったとか、文脈を勘違いしていたなど本人が全く意図していない形で表れている可能性すらあります。
相手の話をジャッジ(判断)せず、100%聴くということ。
相手の話を理解することは同意することは違います。
同調するのではなく、この人はこんな考えを持っていて、私とは違うということが分かればよいのです。
その土台の上に初めて、共通の目的を確認し、そこに向けて協力できる部分を探していくというプロセスが成立します。
結果的にその時協力関係が成立しなかったとしても、自分の話を100%聴き切ってくれた、というだけでも随分相手との関係性は変わるはず。
そもそも、自分の言うことを信頼してもらえていなければ話す気分にもなれないし、嫌いな反発を感じる人の話を正論だからと素直に聞き入れられませんよね。
人は自分が尊敬する対象か、少なくとも自分を理解しようと感じられる人の話しか耳に入ってきません。
私も昔大嫌いな上司がいたのですが、確かに全然話を聞いていませんでした(^^;)
「聴き切る対話」の中でどんなにカチンときても、自分の正論を振りかざして反論するのではなく、相手がそれをする「それなりの理由」ってなんだろう?と一言、自分の心に聴いてみてください。
ある程度の信頼関係があれば本人にそのまま聞いてもいいかもしれません。
子育てに応用してみる
これは子育てにとっても有効!
会社のおじさんと違って、相手のことを100%聴く土台になる「愛情」を子供に対しては無条件に持っていますから!
私はこの話を聞いて子供に対する反射的な怒りの反応を抑えることに成功しています。
子供は年齢によっては感情を表現する語彙を持っていなくて、暴れたり泣いたりする場合も多いですが、その時は、子供の感情に名前をつけてあげるのが効果的!
「○○ちゃんはくやしいんだね」など、言葉が心の動きと結びつくと、結果的に気持ちの揺らぎが正確に分かるようになり、原因も特定しやすいので立ち直りも早くなります。
何でも「ヤバい」としか言えないと、何に対して自分が苦しいかが分かりません。
これから人間とコンピューターの境界があいまいになり、複雑さを増す社会の中で特に必要になってくる人間らしい能力だからこそ、より豊かに色々な感情を知っていることが大切になるのではないでしょうか。
この人にとっての「それなりの理由は何?」というのは人は誰でも理解されたいと思う生き物だという本質をとらえた、とても良い問いですよね。
今日の質問
最近腹が立った時のあなたの「それなりの理由」は何ですか?