私はコーチになる前、企業で商品企画の仕事をしていたのですが、ある時『2030年の世界』をテーマにした展示会を見に行く機会がありました。
当時から見れば、25年後の世界です。
その中で、とても印象に残ったのは今よりもずっとオンライン化が進んで、「人とリアルに会うこと」そのものが価値になるというプレゼンテーションでした。
芸能人ならまだしも「会いに来た」というそんな当たり前のことが感動とか価値になるんだ!
その時は共感できなかったものの、不思議と心に引っかかったので印象に残っているのですが、今まさにそれが起こっていますよね!
きっとそのプレゼンをした人がイメージした変化のスピードはもっと緩やかだったと思いますが、コロナをきっかけにガラリと世の中変わってしまいました。
人と会うことが当たり前の時はピンときませんでしたが、今や誰もが実感していることではないでしょうか。
海外に住んだ経験のある方は、日本の水と空気と安全だったり、電車が時間通り来ることのありがたみを実感されたことがあるとおもいますが、あなたの日常の中にも、当たり前だと思っているけれど実は大切なことがあるかもしれません。
最近私が感じたのは、自分の子供は宝物だということ。
悲しい事件や事故のニュースを耳にするたびに、毎日子供の「ただいま!」という声が聞けるのも本当に奇跡だなと感じます。
ウクライナの戦争を見ていても思いますが、家で眠ることすらも、とても恵まれているからできているんですよね。
私もコーチをしながらも、つい自分に足りないものばかりに光が当たってしまい、それを追い求めてしまいがちなのですが、今自分が持てているもの・例えば健康、家族、友人、心地よいベッドなど当たり前の日常にも目を向けてみたいなと改めて感じました。
京都の龍安寺に有名な知足の蹲踞(つくばい)があります。
「吾唯足知」の口の部分を共通にしているデザイン性も秀逸だと思うのですが、これは釈迦の教えで仏教の神髄ともいえる大切な教えだと言われています。
自分が満たされていて十分幸せだと感じている人が、本当に豊かな人であり、逆にどれだけの富を持っていても、もっと欲しいとか、自分はまだ足りないと感じるのは貧しいことだという意味です。
とても身につまされますね💦
もちろんこれは、現状に満足して何もしなくていいということではなく、高い目標を持ってそこに向かう努力を重ねる道のりの中でも、今自分が手にしている幸せに対して感謝を忘れない、ということだと思います。
遠くを見る鳥の目と、近くを見る虫の目、両方が必要だということなのかもしれませんね。
なお、25年前の2030年の予測が2020年代早々にすでに突破されてしまった状態ですが、ChatGPTが登場したり、世界情勢も不穏なままで、これまで以上に見通しが立たない世の中になってきている感じがしますよね。
今の時代が歴史の教科書に太字で載ることは確実ですが、毎日に感謝して生き、自分と半径5メートルの人たちを幸せにしてあげることが、私たち一般人ができる時代への貢献かもしれませんね。