以前とあるトークイベントで学校の先生お二人の話を聞く機会がありました。
定期テストや宿題、担任制など学校の「当たり前」をやめる学校改革話題になった工藤勇一先生と、「教えない授業」を提唱されている山本崇雄先生というメディアでも度々取り上げられている最先端の教育を実践していらっしゃる先生方です。
自己肯定感の低い子供が増えている
色々な調査で明らかになっていますが、日本の子供たちは世界的に見て極端に自己肯定感が低い言われています。
令和元年の調査の国際比較でみると「自分自身に満足している」/「どちらかと言えばそう思う」、と答えた生徒の割合が諸外国では7割以上いるのに対して、日本は45%とかなり低いんです。
そしてはっきりと「そう思わない」と答えた生徒の割合が諸外国が10%未満なのに対して日本は24.2%と圧倒的に高い!
しかもその割合は5年前の調査と比べても増えています。
私はむしろこの方が問題だなと思います。
<出典:令和元年 内閣府 子供・若者白書>
なぜ日本人は自己肯定感が低いのか
ではなぜこのようなことが起こるのでしょうか?
海外で育った経験がある私が特に敏感に感じることは日本は褒めるよりも謙遜が美徳とされる文化的な背景です。
確かに!
みんな褒められても「そんなことないです」とか言っちゃうよね
むしろそのまま無邪気に誉め言葉を受け取ったら、「調子に乗っている」と陰口を言われたことすらあるよ
さらに、工藤先生と山本先生が対談の中で言及されたのは、早くから受験戦争に巻き込まれ、失敗したり脱落した経験から10歳そこそこで「どうせ自分なんか」と無力感を感じ自分は無価値だとささくれている子供たちがかなりいるとのこと。
先生方自身がそれを強く感じる現場で指導をしてきたそうです。
自己肯定感を下げ止めるために必要なこと
私自身海外で育ったので、日本の文化的な背景として欧米よりも自己肯定感が低く出る、ということ自体は挽回できないと思うのですが、その差が改善されず広がっていっていることに危機感を感じます。
特に、上記の調査はコロナ前の物ですが、コロナ禍以降はさらに中学受験する子供も増えていて、テストの点数や偏差値という基準に多くの子供たちが接することになっているのも拍車をかけているような感覚があります。
トークイベントの中でお二人の先生が共通してメッセージとして伝えていたのは子供に選択肢を与えてあげることの大切さ。
そして、できないのではなく、出来ないことこそ「可能性のありかと捉えてみよう」、と違う視座で声かけしてあげることでした。
これは子供だけではなく、大人にも共通しているのではないかと思いませんか?
人は小さな自己決定をし続けることで、少しずつ自己効力感を持ちます。
自己効力感は私がコーチとして大切にしている「私ならできる!」と信じられる力のことですが、この積み重ねが自己肯定感を育んでいきます。
つまり自己決定=自己肯定感の芽
特に相手が子供の場合、無遠慮に勝手にしなさい!と投げ出したり、言うことを聞きなさい!と押さえつけたり、親が決めたことを与えるのは簡単です。
一方小学校高学年にもなると、子供だって弁が立ちます。大人がどんなことに対してイライラするかもよく知っていて、言葉を投げかけたり、ささくれた態度を取ったりすることは思春期という成長段階ということもあり、一触即発の空気が醸成されること自体は避けられないことなのかもしれません。
でもそこで、子供の鬱憤に怒りで返すのではなく、「君はどうしたいの?」と選択肢を与えること。
そして「できないことこそ可能性だよ」と言ってあげられるかどうか。
「ここを超えられた子供は言わなくても自分から勉強するようになるんですよ」、と両先生たちはおっしゃってました。
コーチングでもコーチは答えを与える存在ではなく、クライアントが自分で出した答えや行動への決意でないと長続きしません。自分が決めたことだからモチベーションが生まれます。
本人に選ばせて、その決定を承認する。
そしてそこに視野が向いたことやこれからの可能性をともに喜ぶ、こんなことを私もコーチとして実践しているので、共通点があるなーと感じました。
子供も大人も、新しいことに目を向けた時に臆病になるよりも、これが可能性かもとワクワクで捉えたほうが楽しいよ、と伸びしろに目が向くようにできるといいですね❣
今日の質問
自分を理解してくれようとした人はいましたか?
どんな時にそれを感じましたか?